ワイド版3巻
■p.50 家康の辞世
本当の辞世の句は「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」らしい。どっちかというと遺訓のほうが有名なのではないかと思う。愛知県岡崎市広報課サイトに遺訓と遺言が掲載されている。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、まくること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。
よそんちに人質に出されていじめられたり戦に出れば敗走してウンコもらしたりと苦労が多かった家康ならではの含蓄ある遺訓…と思えるのだが、実は家康自身が書いたものではなく、幕臣の池田松之介とかいう人が明治になってから家康っぽく書いたものらしい。
■p.103 鎖国
家光がポルトガル船の来航を禁止して鎖国が完成したのが1639年であるが、「鎖国」という言葉は1801年に通詞の志筑忠雄がケンペルの「日本誌」の中の小論を訳して「鎖国論」と題したことから生まれた。それまで140年以上、鎖国という言葉を使わずに鎖国していたことになる。
■p.201 宝暦治水伝
管理人は愛知県出身だが、小学校の頃副読本でこの話を習った記憶がある。当時は尾張藩がずるっこして自分だけ高い堤を作ったことなどは知らなかった。