ワイド版6巻
■p.21 秋田蘭画
「ほぼ日刊イトイ新聞」内に、橋本治氏の源内に関するインタビュー記事がある。その中に「秋田蘭画は水平線が低すぎる」という話があって、「不忍池図」などを見直すと確かに水平線が低すぎる。橋本氏は遠近法がおかしくなってしまった原因を、描いた直武の心理の中に見つけようとしており、かなり面白いインタビューになっている。
また、京都教育大学・守屋研究室のサイトに「秋田蘭画の旅」というページがあり、小田野直武の「絹本著色唐太宗花鳥図」を題材に遠近法を検証している。消失点が一致していなくて厳密にいえばおかしいらしい。
■p.131 ツンベリー先生
Carl Peter Thunberg (1743-1828) 。現在スウェーデンにはツンベリー奨学金というのがあって、日本との交換留学生を募集しているらしい(詳しくはリンク先をお読みください)。日本側の窓口は日本学術振興会。
ツンベリーはリンネの弟子で、ウプサラ大学でリンネの教えを受け、その後同大学の教授となり、学長もつとめた。なので、p.134の「私は故郷では教師をしています」というは大学の先生のことと思われる。
日本のクロマツ(Pinus thunbergii)などの学名に彼の名前が残っている。よくわからないがカメムシ類にもThunberg というヤツがいる…というか、ThunbergでGoogle検索するとものすごい勢いでいろんな生き物の学名が引っ掛かる。ちなみに、肖像はマンガとかなりイメージ違う。
■p.146 ツンベリーは江戸で源内と会わなかったらしい
板倉聖宣「日本史再発見」(朝日選書477)によると、ツンベリーは彼の著書「日本紀行」において、「この国民は発明心は欠如している」と書いているとのこと。源内と会っていたら、そんなことは書かれないで済んだかも知れない。
坂口安吾が、何の本だったか忘れたが(日本文化私観だったかなあ)「日本人は駕籠という乗り物があったらそれを担ぐ技術を高めることには熱心だったが駕籠自体をまったく違うものにしようとは思わなかったのに対し、西洋人は駕籠に車輪を付けて馬で引かせることを考えたのだ」というようなことを言っていた。言われてみれば確かにそんな感じはするし、源内が受け入れられなかったことにそういう日本特有の風土があったことは否定できない。
ちなみにツンベリーは日本の医学については「疾病につきての彼らの知識ははなはだ僅少で、錯乱したもので、かつしばしば荒唐無稽のものである」(富士川游「蘭学創始の頃」:「史話日本の歴史22 西洋への窓」所収)とケチョンケチョンに言っているが、駕籠の乗り心地は絶賛していたそうだ。
■p.222 源内の異状
源内はこの頃、弟子の森島中良(桂川甫周の弟、二代目福内鬼外)の芝居が自分のより当たったのに腹を立て、中良の楽屋に乗り込んで罵詈雑言を浴びせたことがあるという。
■p.299 小田野直武謹慎
源内の投獄は1779(安永8)11/21だったらしいが、直武の謹慎との関連性には定説がないようだ。財政への直諌が原因とする説もある。みなもと説はかなり説得力はあるが、実際には直武が伝馬町へ斬り込みに行こうとするというのは(無謀すぎて)考えにくく、罪を犯した源内と親しかった直武をかばうための謹慎・帰国命令であったのかも知れない。
■p.310 佐竹曙山の絵の変なオランダ語
「湖山風景図」に捺されているハンコのような(カラーで見ると赤い)丸い枠に囲まれた欧文がどうもオランダ語らしいので読んでみたいと思い、オンライン蘭英辞書などで調べてみたのですが…
最初の単語でいきなり轡十字。"Segitter"に見えるのだが、どうも違うらしい。(管理人はオランダ語ができません)そもそもseg-で始まる単語が辞書になく、se-で始まる接頭辞のようなものも見当たらない。"vol" は"full, whole, entire" (いっぱい、全て、丸ごと)、 "beminnen" は "love, to love" で「好き、愛する」の不定形のようなので、
「"Segitter"大好き」
みたいな意味なのではないかと想像してみた。辞書があってもこの3つの単語が読み解けないとは情けない、というかやっぱり良沢たちは偉かったのだと思った。