ワイド版8巻
■p.63 チチングの書き残したもの
ここでは、意知の死を惜しむ狂歌をチチングがヨーロッパに紹介し、彼の先見性を惜しんだと書かれている。ところで、上村瑛「大江戸文人戒名考」(原書房)では、同じチチングの「将軍列伝」からの引用として、「斬られたは馬鹿年寄と聞くとかや、山もお城もさわぐ新番」という逆の意味合いの狂歌を載せている。
チチングはおそらく公平に両方を載せた上で、彼自身のコメントを追加しているのだろうが、引用の仕方によってチチングの立場が変わってしまう。こういうのがあるから、やっぱり原典に当たらないと駄目だよなあ…。
フリーメイソンの日本グランドロッジによると、このチチングが日本に初めて訪れたメイソンだそうである。
■p.112 平秩東作
「へのような名前の戯作者」平秩東作の「へのような名前」は、浜田義一郎「大田南畝」(吉川弘文館 人物叢書)によると書経から取られたものだというので調べてみたところ、書経の尭典に「平秩東作」という一節があった。ちなみに同書によれば、南畝の名は詩経の大田篇からとったものだそうである。
平秩東作の辞世の句を社団法人日本土木工業協会のサイトで発見した。仏罰は怖くなかったのだろうか。
■p.115 夷酋列像
蛎崎波響の「夷酋列像」のオリジナル12点のうち11点が1984年にフランスのブザンソンで発見された。どれも素晴らしい絵なので死ぬまでに一度は見たい。
■p.191 藤枝外記は何石を棒に振ったのか
上村瑛 「大江戸文人戒名考 」にはこの藤枝外記と遊女綾衣の心中事件を取りあげており、「五千石は間違いで、麹町番町に住む五百石取の旗本藤枝外記と…」と書かれているのだが、Google先生に調べていただいたところ、「五千石説」「四千五百石説」「四千石説」「三千石説」「実家は五百石で、四千五百石の家に養子に行った説」とみんなバラバラなので何を信じたらいいのかワケワカラン。
■p.263 三国通覧図説
東北大学図書館・貴重書展示室で付属の地図が見られる。
#桂川甫周の達筆の序文を含め、全ページを見られるサイトを一度見たことがあるのですが見失ってしまいました…。すっげえ口惜しい。
最近は国境問題に使われるばかりで何だか納得いかない三国通覧図説。